仕事がない日を「休みの日」と定義することは、仕事ありきの考え方なのかもしれない

仕事がない日、僕の場合は土曜日と日曜日ですが、これらの日を「休みに日」と定義することに違和感を覚えるようになってきました。

休みの日、というとなんだか仕事の疲れを取るための日、翌週からの仕事に備えるための日、というイメージがあるのです。

 

僕が実現するのは、仕事も遊びも休みも境目がないようなライフスタイル。

だったら土曜日・日曜日も「仕事」「遊び」「休み」を明確にしないほうがいいのかもしれない。

「そうである日」と「そうではない日」を分けたくないなぁとなんだか思うのです。

 

一日は一日。

仕事がある日は「仕事をする」という選択をしているだけのこと。

仕事に「拘束」されているわけでも、自由を奪われているわけでもない。

仕事をしない日は、ただ他のことをする時間が増えただけのこと。

 

僕は「好き」を仕事にします。

そのためには既存の価値観をどんどん変えていく必要性を感じています。

この休日の定義もその中のひとつ。

これからも違和感はどんどん出てくるんだろうなぁ。

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

本名:日髙 勇太(ひだか ゆうた) 1985年2月17日生まれ。32歳。 2009年…24歳の時に初めて入社した会社で、自らの無価値感・無力感に絶望したことをきっかけに心理学に興味を持ち始める。 その後精神的につぶれてしまい、その会社を退職。 自分は社会不適合者であると、自分を責める日々をしばらく送ることになる。 2017年2月から立花岳志・大塚あやこ夫妻が主催する、ツナゲル・ライフ・インテグレーション(TLI)講座を受講。 これまでの生きづらさ、これからの生き方について学びを深める。 同年6月、岡部明美・立花岳志・大塚あやこのトリプル講師陣による3days湘南ワークショップに参加。 これらの学びの中で、心のことに携わる活動をしていきたいと思うようになる。 現在、心理カウンセラー・ブロガーとしてブログ「アビスの果てに」にて心のこと、思うこと、グルメ情報などを発信しながら、心のことに関わる活動の準備を進めている。