声は音、文字は記号、思考は電気

最近ふと思ったこと。

声はただの音、文字は記号、思考は電気信号なのだということ。

それらの音・記号・電気に自分たちが勝手に意味をつけているだけのこと。

 

音・記号・電気に意味を見出すことができるのは、人の認知という脳機能があるからです。

「こんにちは」という音を聞いて「ああ、挨拶なのだな」と理解できるのはこの認知という機能があるおかげで、この認知の機能が働かなくなると声をただの音としか認識できなくなります。

 

ちょっと話が飛びましたが、ここはブログなので文字というものについて考えてみたいと思います。

 

  • 私は愛されている。
  • 私は愛されていない。

ここに2つの文字列を書きました。

この2つの文字列を見て、人それぞれ感じるものはあると思います。

でも本来はただの文字列であり、記号なのです。

 

  • ワタシハアイサレテイル。
  • ワタシハアイサレテイナイ。

こう書くと文字は記号であるということがもっと伝わりやすいでしょうか?

 

人にはビリーフ・思い込み・前提と呼ばれる心のクセがあります。

それらは感覚であり、言語化されている場合が多いです。

(されていないものもありますが。)

 

例えば、「私は愛されない」という心のクセを持っている人の場合。

単純に「私は愛されない」という声・文字・思考との接触回数が多かったがために、このような心のクセを持つようになっただけのこと。

ワタシハアイサレナイ

という音・記号・電気信号を無意識の内に数多く使ってきた。

ただそれだけのように思うのです。

 

ワタシハアイサレテイル

ワタシハアイサレテイナイ

も、

ただの音・記号・電気信号という意味ではその価値には全く差がない。

その性質に違いこそあれ、どっちが良くてどっちが悪いということもない。

 

ただ、どちらの使用回数が多いのか、という違いがあるだけ。

口癖と同じこと。

そうか、だから心の癖、というのか。(今気づいた)

 

で、あれば、ビリーフ・思い込み・前提を変えるには、自分が持ちたいビリーフ・思い込み・前提を意味する音・記号・電気信号の使用回数を増やすだけでいいのではないだろうか?

 

「私は愛されている」という前提をもって生きていきたいなら、

ワタシハアイサレテイル

という音・記号・電気信号を声・文字・思考を使って自分に接触させる回数を増やす。

 

「お金はある」という前提をもって生きていきたいなら、

オカネハアル

という音・記号・電気信号声・文字・思考を使って自分に接触させる回数を増やす。

ただシンプルにこれだけなのではないか。

 

心屋仁之助さんが「ただ思って」と言っている理由がわかった気がする。

 

ABOUTこの記事をかいた人

本名:日髙 勇太(ひだか ゆうた) 1985年2月17日生まれ。32歳。 2009年…24歳の時に初めて入社した会社で、自らの無価値感・無力感に絶望したことをきっかけに心理学に興味を持ち始める。 その後精神的につぶれてしまい、その会社を退職。 自分は社会不適合者であると、自分を責める日々をしばらく送ることになる。 2017年2月から立花岳志・大塚あやこ夫妻が主催する、ツナゲル・ライフ・インテグレーション(TLI)講座を受講。 これまでの生きづらさ、これからの生き方について学びを深める。 同年6月、岡部明美・立花岳志・大塚あやこのトリプル講師陣による3days湘南ワークショップに参加。 これらの学びの中で、心のことに携わる活動をしていきたいと思うようになる。 現在、心理カウンセラー・ブロガーとしてブログ「アビスの果てに」にて心のこと、思うこと、グルメ情報などを発信しながら、心のことに関わる活動の準備を進めている。