なんだか今まで僕が感じていた生きづらさの確信に触れた気がするので記録しておく。
このことに気がついたのは「自分の小さな『箱』から脱出する方法」という本を再読したことに端を発する。
自分の中にある欲求を軽視したり、欲求を持つことを悪いことだと思っていた
僕はこれまで無意識のうちに、自分の中にある欲求を軽視したり、欲求を持つことを悪いことだと思っていたようだ。
自分の欲求よりも他人の欲求を満たすほうが大切だと思っていた。
そして中々そうできない自分を責めることが多かった。
お金をもっと欲しいと感じること。
仕事をしたくないと感じること。
家事をしたくないと感じること。
こういった欲求が確実に自分の中にあるのだが、なぜだかこれらの欲求が自分の中にあるということ自体許されないことだと感じたり責めたりしていた。
でも僕だって一人の人間である。
これらの欲求を大切に取り扱っていくということが、自分を人間扱いするということなのではないだろうか?
色々な感情があるからこそ人間らしい
自分の中には色々な感情がある。
それらはきれいなものだけではなく、思わず目をそらしたくなるようなものもある。
誰かを憎んだり、嫉妬したり、怒りの感情を持つこともある。
だけど、それらをないものとした時に自分を人間扱い出来なくなってしまうのではないだろうか?
自分を人間扱いできないということは、他人のことも人間扱いすることはできないと思う。
自分に対して心を開いていくことが、ひいては他人に対しても心を開いていくことにつながっていくのだろう。
自分の中にある感情や欲求を無視し始めたときから、人は心をなくしてしまうのかもしれない。
これからはどんな感情や欲求も丁寧に扱っていきたいと思う今日このごろである。