優しい自分でも大丈夫

優しい自分でいてはいけない。

優しい自分、繊細な自分、温厚な自分では生きていけない。

 

どうやら小さい頃、主に保育園〜小学校にかけて僕はそのように考えるようになったようです。

そして、自分の一部である、優しさ、繊細さを封印することで自分を守ろうとしたのだと思います。

 

僕は小さい頃、気性が優しくて繊細な子供でした。

姉や従姉や近所の幼馴染の女の子と接しながら育ったので、そのような性格に育ったというのもあります。

 

幼馴染と遊ぶのは楽しかったし、姉や姉の友だち、従姉と遊ぶのも好きでした。

その反面、新潟に住む従弟と遊ぶのは好きではありませんでした。

その従弟はとにかくやんちゃな性格で、よく乱暴されて泣いていたので。

 

保育所の頃は、幼馴染も同じ保育所に通っていて、保育所でも一緒に遊んだりしていました。

でもその頃から、女の子と一緒になって遊んでいることがなんだか間違っていることをしているような気分を持っていたことを今でもかすかに思い出します。

多分周りの大人や同級生からの空気によってそう感じていたのだと思います。

 

小学校に上がると、幼馴染とは学年が一つ違ったので、僕が先に入学することになりました。

この時とても心細かったのを覚えています。

 

 

僕は同学年の男子がとても苦手でした。

怖かったし自分のことを弱者だと思っていました。

そして、逆らったりしたら大変な目に遭うと思っていました。

 

そしてその環境の中、狭い教室の中で生きていくには自分が持つ優しさや繊細さは邪魔になると幼き頃の自分は判断したのだと思います。

 

心の奥では望んでいないにも関わらず、同級生の顔色を伺って合わせることも多くなっていきました。

そうやって段々と自分を殺して生きるようになっていったのだと思います。

それが僕が教室で生きていくための戦略でした。

 

大人になった今もこの戦略をとっているということに、昨日の夜気が付きました。

僕は優しい自分、繊細な自分を見せたらつけこまれる、馬鹿にされるという思い込みを持っていました。

これは小さい頃の自分が身につけた生存戦略をそのまま引きずっていたのです。

 

僕は本当は誰とも争いたくないし、親のことも好きでした。

でも周りから浮かないように、仲間はずれにならないように友だちと一緒になって親の悪口を言ったりしてました。

そして罪悪感を感じていました。

 

 

何故かやさしくなれない自分のことをいつも責めてきました。

でもやさしくなれないのは、自分を守るためには自分のそういった気性を抑圧しなければいけなかったからだと気が付きました。

 

僕はもう自分が優しい人間であるということに気がついたので、もう無理して人にやさしくしなければ!と思うことをやめます。

ただ普通にしているだけで自分は優しい人間だということを思い出したからです。

 

過去に置いてきた自分の一部をやっと少し取り戻すことができました。

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

日高 勇太

本名:日髙 勇太(ひだか ゆうた) 1985年2月17日生まれ。32歳。 2009年…24歳の時に初めて入社した会社で、自らの無価値感・無力感に絶望したことをきっかけに心理学に興味を持ち始める。 その後精神的につぶれてしまい、その会社を退職。 自分は社会不適合者であると、自分を責める日々をしばらく送ることになる。 2017年2月から立花岳志・大塚あやこ夫妻が主催する、ツナゲル・ライフ・インテグレーション(TLI)講座を受講。 これまでの生きづらさ、これからの生き方について学びを深める。 同年6月、岡部明美・立花岳志・大塚あやこのトリプル講師陣による3days湘南ワークショップに参加。 これらの学びの中で、心のことに携わる活動をしていきたいと思うようになる。 現在、心理カウンセラー・ブロガーとしてブログ「アビスの果てに」にて心のこと、思うこと、グルメ情報などを発信しながら、心のことに関わる活動の準備を進めている。